2007.04.30 Monday
中村憲剛 〜晩成型司令塔〜
スポーツ選手だけにあらず、人間には誰にでも成長型というものが存在すると思う。早熟型や晩成型などのように。
サッカーにおける晩成型の選手といえば、先に紹介した浦和レッズの鈴木啓太もそんな選手の一人ではないだろうかと考える。いや、鈴木啓太は普通かもしれない。
今回紹介する選手は、鈴木と同じようにオシムジャパンになってから華を咲かせる選手へとなり、知名度も高まってきた川崎フロンターレの中村憲剛です。
小野・稲本・高原・中村俊輔、日本代表で活躍をしている選手は年代別の代表、つまりU-18やオリンピック代表などに選出されている選手が結構多い。年代別の代表に選出されていなくても、インターハイ優勝や県選抜の経験がある選手はとても多い。
つまり、なにかしらで全国的に名前は多少売れている選手がJリーガーには多いということにもなる。しかし、中村憲剛に関しては、全国大会経験も無ければ、県選抜経験も無い。
彼の経歴の中で唯一あげるとするならば、小学生時代に全国大会に出場したことと、市の選抜に選ばれた経験があることぐらいである。
小学生時代に全国経験をした中村憲剛であったが、中学は弱小中学へ進学。高校は有名強豪校へ行きたいという考えもあったらしいが、身長が152センチ程しかなかったため断念し、高校は都立久留米高校へ進学した。久留米高校では、都ベスト4が最高。当時帝京高校一年生であった浦和レッズの田中達也にズタズタにやられた。中央大学へ進学した中村は、大学レベルのパワーとスピードに戸惑い、まったく練習についていけない状態だった。
しかし努力を惜しまない中村は、徐々にサッカーレベルを上げていく。
プロチームと練習試合をすることによりプロへ進みたいという意識も生まれ始めたらしい。
中央大学のコーチのつてにより、プロの練習に参加させてもらったりと、プロへの挑戦の道を選んだ中村。どうにか当時J2だった川崎フロンターレへ入団することができた。
しかしプロの世界は考えていたほど甘いものではなく、選手一人一人の技術は高く、想像以上の体力を要求される。当面の目標はベンチ入りすることというのが率直な考えだったという。
ところが、中村の考えとはうらはらに、開幕戦にていきなりの途中出場と大抜擢されることになる。
その後も徐々に出場機会が増えることになり、試合を重ねることによって自信が生まれて、J2のレベルにも慣れることができた。結局プロ一年目から中村がベンチ入りから外れることは一度も無かった。
プロ2年目からはレギュラーに定着し、トップ下のポジションから守備的MFのポジションへとコンバートし、フロンターレのJ2優勝へ貢献した。
J1にあがったものの、J1とJ2とのレベルの違いに再び戸惑った中村は、何度も自分の試合をビデオで研究するようになった。
自分のプレーを隅々まで見直し、ミスの原因を一つ一つ分析し練習に生かした。徐々にJ1のレベルの中でもボールコントロールをできるようになり、シーズン終了後のJリーグアウォーズでは優秀選手に選出された。
そんな中村はオシムの目に止まり、日本代表選手に選出されるようになったわけであるが、中村憲剛のすごいところは適応力であると考える。
高いレベルでのサッカーを経験したことが少なかった中村は、大学・J2・J1と徐々に適応していった。サッカー選手の伸びしろは、小学・中学時代の練習と経験によって大きく変ってくるとよく言われているが、すべての高いレベルでの経験が大学生からという中村はまさしく晩成型の選手といえるだろう。次は是非とも世界レベルに適応していってほしいと願っている。
「中村憲剛」
1980年10月31日生まれ 東京都小平市出身
175センチ66キロ
府ロク少年団 → 小金井市立小金井第二中学校 → 都立久留米高等学校 → 中央大学 → 川崎フロンターレ
2005年Jリーグアウォーズ優秀選手賞
2006年Jリーグアウォーズ優秀選手賞・Jリーグベストイレブン
2007年Jリーグベストイレブン
2008年Jリーグベストイレブン
日本代表国際Aマッチ 37試合出場(2009年8月23日現在)

参考文献:Number667
サッカーにおける晩成型の選手といえば、先に紹介した浦和レッズの鈴木啓太もそんな選手の一人ではないだろうかと考える。いや、鈴木啓太は普通かもしれない。
今回紹介する選手は、鈴木と同じようにオシムジャパンになってから華を咲かせる選手へとなり、知名度も高まってきた川崎フロンターレの中村憲剛です。
小野・稲本・高原・中村俊輔、日本代表で活躍をしている選手は年代別の代表、つまりU-18やオリンピック代表などに選出されている選手が結構多い。年代別の代表に選出されていなくても、インターハイ優勝や県選抜の経験がある選手はとても多い。
つまり、なにかしらで全国的に名前は多少売れている選手がJリーガーには多いということにもなる。しかし、中村憲剛に関しては、全国大会経験も無ければ、県選抜経験も無い。
彼の経歴の中で唯一あげるとするならば、小学生時代に全国大会に出場したことと、市の選抜に選ばれた経験があることぐらいである。
小学生時代に全国経験をした中村憲剛であったが、中学は弱小中学へ進学。高校は有名強豪校へ行きたいという考えもあったらしいが、身長が152センチ程しかなかったため断念し、高校は都立久留米高校へ進学した。久留米高校では、都ベスト4が最高。当時帝京高校一年生であった浦和レッズの田中達也にズタズタにやられた。中央大学へ進学した中村は、大学レベルのパワーとスピードに戸惑い、まったく練習についていけない状態だった。
しかし努力を惜しまない中村は、徐々にサッカーレベルを上げていく。
プロチームと練習試合をすることによりプロへ進みたいという意識も生まれ始めたらしい。
中央大学のコーチのつてにより、プロの練習に参加させてもらったりと、プロへの挑戦の道を選んだ中村。どうにか当時J2だった川崎フロンターレへ入団することができた。
しかしプロの世界は考えていたほど甘いものではなく、選手一人一人の技術は高く、想像以上の体力を要求される。当面の目標はベンチ入りすることというのが率直な考えだったという。
ところが、中村の考えとはうらはらに、開幕戦にていきなりの途中出場と大抜擢されることになる。
その後も徐々に出場機会が増えることになり、試合を重ねることによって自信が生まれて、J2のレベルにも慣れることができた。結局プロ一年目から中村がベンチ入りから外れることは一度も無かった。
プロ2年目からはレギュラーに定着し、トップ下のポジションから守備的MFのポジションへとコンバートし、フロンターレのJ2優勝へ貢献した。
J1にあがったものの、J1とJ2とのレベルの違いに再び戸惑った中村は、何度も自分の試合をビデオで研究するようになった。
自分のプレーを隅々まで見直し、ミスの原因を一つ一つ分析し練習に生かした。徐々にJ1のレベルの中でもボールコントロールをできるようになり、シーズン終了後のJリーグアウォーズでは優秀選手に選出された。
そんな中村はオシムの目に止まり、日本代表選手に選出されるようになったわけであるが、中村憲剛のすごいところは適応力であると考える。
高いレベルでのサッカーを経験したことが少なかった中村は、大学・J2・J1と徐々に適応していった。サッカー選手の伸びしろは、小学・中学時代の練習と経験によって大きく変ってくるとよく言われているが、すべての高いレベルでの経験が大学生からという中村はまさしく晩成型の選手といえるだろう。次は是非とも世界レベルに適応していってほしいと願っている。
「中村憲剛」
1980年10月31日生まれ 東京都小平市出身
175センチ66キロ
府ロク少年団 → 小金井市立小金井第二中学校 → 都立久留米高等学校 → 中央大学 → 川崎フロンターレ
2005年Jリーグアウォーズ優秀選手賞
2006年Jリーグアウォーズ優秀選手賞・Jリーグベストイレブン
2007年Jリーグベストイレブン
2008年Jリーグベストイレブン
日本代表国際Aマッチ 37試合出場(2009年8月23日現在)

参考文献:Number667
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